今日は、どこか懐かしい伽耶(かや)を訪問しました。
高霊(コジョ)市外バスセンターで下車し、徒歩20分です。
①大伽耶博物館(歴史館)
大和朝廷の時代、朝鮮半島には高句麗・新羅・百済がありました。
実はその少し前、もう一つ「伽耶」があり、倭国と盛んに交易をしていました。
倭国の目当ては、自前で生産不可能な「鉄鉱石」を得ることでした。
鉄艇(てつてい=鉄の延べ棒のようなもの)の出土数が半端ではありません。
日本ではすぐ加工するのであまり出土していません。
土器の種類も豊富です。
土器は年代により異なります。
全盛期ほどさまざまな形があり、大きいようです。
衰退期に入ると最低限の機能に抑えられ、実用性重視になりました。
殉葬も一般的でした。
殉死者は生き埋めでしょうか。
10代〜60代までさまざま。
展示してあった73号古墳では、11名。
殉葬者に別の殉葬郭が設けられたことが、伽耶式最大の特徴です。
王の足元に3名の侍女。宝石のネックレスをしているため、位が高いとされます。
王の両脇に、10〜20代と、20〜30代の夫婦。
王の下に倉庫番2名。
さらにその下に30代の番人、少し遠くにも番人。
73号墳は、博物館の東側の階段を昇るとあります。
一番奥がそれです。
その後は土器の形などが新羅式になったとのことです。
そして高麗時代へ。
②大伽耶博物館(王陵展示室)
44号墳は、40名の殉葬者を伴う、最大級の古墳です。
古墳の造り方の動画がありました。
まず穴を掘り、そこに遺体を納めます。
その後、土を何回かに分けて盛ります。
ここで「日本では、土を持ってから郭室を造っていた」ことを思い出しました。
日本では他にも、方墳をつなげてアレンジした日本独自の古墳もあります。
昔からアレンジ好きな人びとだったのかもしれません。
馬具もありました。
古墳群の中腹くらいにある、一際大きい円墳です。
③池山洞古墳群
とにかく登山です。急な斜面をひたすら登りました。
標高が高いので、歩くと汗をかき、休むと急に冷えます。
日本は間隔を空けていますが、伽耶は704基の古墳が密集しています。
ここまで見事な光景は、世界のどこでも見たことがありません。感動です。
民間人のお墓も、円墳のようでした。
日本史を学ぶと、空白の140年を越えた後、急に大和朝廷が登場します。
その間に古墳が登場します。
何だか古墳時代のプロローグを見ているようでした。
古墳は円墳一択。しかも一箇所に集中。
日本に渡って、日本の風土に合うように改良されたのだなと思いました。
最後に、ヘインサ(海印寺)行のバスは、途中この街を通ることを最後に知りました。
この組み合わせ、おすすめです。