538年(もしくは552年)、日本に仏教を伝えたのは、百済の聖王(聖明王)でした。
彼のあと、660年に唐・新羅連合軍により、百済は滅亡します。
それまで5世紀に渡り繁栄した朝鮮半島の国の最後の都が、今回旅する扶余(ぶよ)です。
新羅の都・慶州(きょじゅ)を訪問した際は日帰りで急足で回ったこともあり、今回は2泊して終日回ることにしました。
3つ目の都が扶余で、聖王のときに遷都します。
それでも先先代のときから遷都計画があったようです。
地図を見ると、三方が河川、東側に朝鮮半島で最も古い長城が築かれました。
②③は同じ場所にあり、バスで移動しました。
帰りはバス停に待っていましたが、ドライバーに気付かれず通過されてしまいました。
①扶蘇山城/プソサンソン
聖王の時に造られた山城です。
1時間かけてウォーキングしました。
②扶余羅城/プヨラソン
百済が扶余に遷都した538年頃に造られたとされる城壁です。
万里の長城には及びませんが、山頂までしっかり伸びていました。
隣のお寺は、聖王を祀りました。
ここから国宝の香炉が見つかりました。
③陵山里古墳群/ヌンサンリ
百済の王陵です。
円墳が整列しており、1号墳の石室には四神が描かれています。
日本の高松塚古墳のルーツかもしれません。
近くにICTミュージアムもありました。
④定林寺址/チョンリムサジ
石塔と石仏がありました。
寺院の復元を目指しているようです。
⑤扶余国立博物館
扶余で発掘されたものを展示。
4部構成で、1部が考古学、2部が百済時代、3部が仏教、4部が寄贈品。
また、国宝の香炉は「スペシャル」な展示。
発見から30周年で企画展の棟にありました。
昼食は、定山寺近くのお店。
メニューを言うと、いきなり大きなボールを渡された、「この中から好きなだけとれ」と言われました。
会計の時「量り売り」であることに気づき、少し量を減らしました。
すると今度は「辛さを選べ」とのことで、3ランク中2番目にしてしまいました。
一緒に出てきたペプシコーラが甘くてちょうど良かったです。
汗だくになり30分かけて完食しました。
キムチとご飯もおいしかったです。
最後に、聖王の像を見に行きました。
日本史でも世界史で有名人。
この地に来られて良かったです。