釧路の方に教えていただき、太平洋炭鉱展示館へ。
釧路は「国内唯一の石炭採掘場」とのことです。
採掘した石炭は、近くの火力発電所などの燃料として使います。
釧路は、炭鉱・製紙業・漁業の街とのことです。
その後、港文館へ。
石川啄木が3ヶ月弱、釧路で記者をしたそうで、その記念館とのことです。
近くの観光施設。
近くには、国内では珍しいサークル上の交差点がありました。
信号機がなく停車時間の排気ガスを抑えられてエコ、という感じで欧米を中心に広がっています。
国立博物館、セブ博物館が、月曜日にためか休館でした。
Google mapではなく、現地のサイトで確認しなければと思いました。
①サンペドロ要塞
スペインが作った最古の要塞。
マニラのサンチャゴ要塞のイメージで行ったら、とても小さく30分で見れました。
今は海に接しておらず、写真などから当時の様子を窺い知ることができました。
マゼランとラプラプの肖像画。
②マゼランクロス
マゼランが先住民に造らせたと言う十字架の復元。
本物は行方不明とか。
火をつけない蝋燭を置くと、願いが叶うそうです。
③サントニーニョ教会
隣に小学校がありました。
礼拝には長蛇の列。
前の人が手をプラスチックの板に添えて祈っていたので真似ました。
首を垂れて姿勢を戻すと、ちょうどサントニーニョと目が合いました。
さすが信仰の対象だけあって、何か不思議な力を感じました。
チャペルもなかなかでした。
膝をついて祈る人が多かったです。
中には中央の道を膝をついて歩く人もいました。
天井画も素敵でした。
④セブ大聖堂・大聖堂博物館
司祭の生活などの展示。
建物の床が隙間だらけでした。
モニュメントがありました。
⑤ヤップ・サン
セブの裕福な民家の展示。
中華系の人が多いのか、春節だからか,装飾が中華でした。
⑥カルチャーセンター(カビリンセンター)
海洋民族セブの展示。
常時ガイドさんが付きました。
民族服の展示。
胎児を表したタペストリー。
磔刑を表したもの。恐らく葬列に使用?
⑦カサ・ゴロドク博物館
カルチャーセンターのすぐ隣。
フィリピンの豪商の家のようです。
1階は、宗教、交通の展示。
2階は、住居スペースの展示。
出口を抜けるとカフェになっています。
3日間の現地観光は、これにて終了です。
交通機関に何度も振り回された3日間でしたが,日程に余裕を持たせていたので、さほど困りませんでした。
むしろ、一般のフィリピン人の生活を多く見ることができました。
歩道のない道路、誰も片付けようとしないゴミの山。
そこに住む大多数の人がそれが当たり前と思えば、それが日常になります。
私たちが「探究」を考える時、それが誰にとっての課題なのか、考える必要があります。
それによって、やれることが変わります。
英語は大事ですね(汗)。
「コルテスは、わずかの手勢でアステカ帝国を滅ぼした。行けるはずだ!」。
①マクタン・シュライン
リスボン港を出発して西回りで南米を越えて太平洋を横断したマゼラン一行。
フィリピンで拠点を築くため、セブ島に上陸。
三週間でセブ王を始め従わせた。
但し、マクタン島のラプラプ王のみ従わず。
マゼランは50名弱の手勢で、ラプラプ軍1500名と戦った。
1時間ほどしてもマゼランの鎧にラプラプ勢は竹槍が通らなかった。
しかし鎧のない足を攻撃され、ついにマゼランは力尽きた。
ラプラプ王は「アジアで初めてヨーロッパの侵略者を倒した英雄」と現地ではされている。
マゼラン上陸地点、王の像とマゼランの墓標が一直線であるのも意味深い。
所々に「1521」(ラプラプ王の勝利)の文字がある。
お祭りのようで、パレードや中学生によるパフォーマンスの準備も見られた。
空港からシュラインまでは、結局徒歩で向かった。
まず、チケット販売があると考え、徒歩でマリアモールへ向かった。
Google mapで調べて乗りたかったバスが見つからず、よく来る別のバスで3回聞いてnoと言われた。
小型の乗り合いバスもあったが、荷物が多いことと雰囲気で乗れなかった。
帰りこそはバスに乗ろうとしたが、セブ島に行くバスがわからない。
そもそもバス停に看板がないため、時刻もわからない。
結局、一つセブ側のスクール前まで歩き、そこに人が乗り込んでいたバスに乗ることにした。
かなり大型で、クーラーがガンガン効いていた。
乗車してしばらくすると車掌が来て、乗ったバス停と行き先を伝えて、お金を渡した。
往路90分かかったところが、バスだとわずか10分だった。
値段もわずか25ペソ(100円)であった。
マリアモールから空港へ戻り、mybusを使いホテルへ。
mybusは50ペソ(200円)で、その前に飲んだオレンジジュースの缶が95ペソ(400円)だった(笑)。
「ボラれるのが怖い」ため、頑なにタクシーを使ってこなかった。
フィリピンこそタクシーは必須と言うが、ここまで来るとNoタクシーを貫きたくなる。
夕食は、近くのSM cityモールで中華。
ボーリング場・卓球場のすぐ横で食べた。
シュウマイにマッシュルームを乗せたり、酢豚が絶妙だったり、肉ご飯が美味しかったり、パイナップルジュースの喉越しが良かったり…。
7年ぶりに訪問国数が増えた。
41カ国目はフィリピン。
自動車のクラクション音が鳴り響き、首輪のない野良犬が静かと言う、日本とは逆の景色が広がっていました。
①リサール公園・ホセ=リサール像
フィリピンの革命家・ホセ=リサールを記念する公園。
像を憲兵が守っていました。
ホセは、スペイン統治下で祖国独立を主張。
スペイン政府より危険視され、35歳で銃殺刑となりました。
その2年後、アギナルドが独立政府を作り、新たに宗主国となったアメリカと戦います。
フィリピン独立の土台を作ったと言って良い人物です。
公園には、マゼランを倒したラプラプの像もありました。
ホセ=リサールは、この地で36歳の生涯を終えました。
徒歩で、イントラムロスへ。
城壁で囲まれたこの一角が、旧来のマニラです。
カーサマニラは、スペイン統治時代の民家を再現。
平日のみの開館とのことでした。
②サン=オーガスチン教会
その中でも残り、戦後復興したのが、この教会です。
落ち着いた雰囲気ですが、11:40に突如クローズになりました。
③イントラムロス博物館
17世紀〜20世紀の、キリスト教に関する木彫りの展示でした。
セブ島をはじめ、フィリピン各地で盛んに作られたそうです。
お祭りに関する展示です。
キリスト教信仰の厚さを感じます。
④マニラ大聖堂
結婚式をしていました。
⑤サンチャゴ要塞
16世紀のスペイン統治時代からの軍事拠点です。
敷地内にリサール記念館があります。
入場時に名前を記入します。
彼が収容された部屋、遺品などが展示してありました。
第二次世界大戦時、日本軍によって捕虜となった兵士の多くが、この地下牢で亡くなりました。
一説には、その数は10万人とも言われます。
1945年2月のマニラの戦いは、住民を巻き込んだ悲惨なものになりました。
このあと、硫黄島、沖縄と続きます。
※一部、死体の山の写真があります。見たくない方は、白黒写真を飛ばしてください。
北側には、パシック川が広がります。
小学校低学年くらいの子どもの物乞いに、よく声をかけられました。
日本は高度経済成長で、ほとんどの家庭が中産階層になりました。
本当に貧しい家庭を忘れていると、この光景を見て感じました。
海外に出てこそ、日本の特徴が見えてきます。
1500ペソ タクシー
300ペソ バス
20ペソ 電車
この数字は、空港からサンチャゴ要塞までの料金です。
観光レートだと、1円が大体4ペソです。
8kmの道のりでタクシーは6000円。
外国人価格だと思い、歩いて駅を目指しました。
元々はバスに乗る予定でしたが、5分前くらいにチケット販売が終わってしまったらしく、目の前にいたのですが「タクシー」と言われて乗れませんでした。
駅まで徒歩30分。
街中を通りましたが、人とバイクで溢れています。
電車はクーラーが効いていて、快適でした。
朝食ビュッフェは、アメリカンスタイルに中華系が混ざったようなものでした。
夕食はマクドナルド。
ビックマックバリューLセットは750円くらい。
現地の人にとっては高級かもしれません。
ケッチャップは、お好みで調整できました。
福岡市立博物館へ行きました。
入るとすぐに金印がお出迎え。
2000年前に栄えた漢王朝が、周辺国に印を贈るのを好んだそうです。
彫った後までしっかり残っているそうです。
そこで疑問なのが「なぜ、朝鮮では出土していない金印が日本で出土しているのか?」です。
地図を見る限り、漢にとって高句麗を挟撃(きょうげき)するには、馬韓(百済)などの外交を重視した方が良い気もします。
ちなみに弁韓(伽耶)は鉄資源が豊富ですが、漢でも鉄が出るため、あまり重要視しなかったのかなと思いました。
もう一つの疑問が「なぜ、志賀島から発見されたのか?」です。
江戸時代の文献などを基に「金印発見地点」があります。
ただ、この場所を含め志賀島全体を調査したそうですが、金印と同じ時代の遺跡は存在しないそうです。
「源平合戦の時、都落ちした平氏が遺棄したのでは?」など諸説あるそうです。
そういえば、志賀島の資料館に行った際も、特に遺跡の展示はありませんでした。
その後、遺物を見学。
朝鮮と日本の違いは何かを意識しながら回りました。
・銅鐸
青銅器が、百済では若干あるが、伽耶ではほとんど出土していない。
土器→鉄器に移行するスピードが早いイメージ。
よく日本では「青銅と鉄が同時期に伝わった」というが、鉄が貴重なため、青銅器が多く作られた印象を受けた。
・甕棺
百済では、大きな甕だった。
日本では、2つの甕を繋いだ。
・埴輪
日本独自?
・横穴式石室
新羅で若干あるそうです。
日本では爆発的に流行。朝鮮半島に少ない頃に広がる。
日本で1番古いものがあります。
確か韓国のものは、日本より新しかったです。数もありません。
少し前、日本で携帯電話が独自の進化を遂げました。
これを「ガラパゴス携帯」と言いました。
弥生〜古墳を見ると、日本人の共通点を感じました。
中世の展示では、新安沈没船が登場しました。
宋を出て日本に着き、その帰り道に沈没したそうです。
その割には中国の陶磁器が沢山あったような…。
日本からは、代金の銭を積んでいたはずです。
中川(中洲など)を挟んで、右岸を「博多」と言うそうです。
江戸時代、黒田長政が中川の左岸に「福岡」という街を創りました。
ただ、博多が古く、福岡が新しい、と言うわけでもありません。
福岡には、平安時代に鴻臚館(こうろかん)という外交場が置かれました。
それが忘れ去られて、江戸時代に福岡城が建てられたようです。
博多は、ずっと商人の街として栄え続けました。