レキタビ情報局

歴史の旅(レキタビ)の紹介です。

愛媛・新居浜(2020.11.21) 瀬戸内旅行3日目

別子銅山資料館

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別子銅山は、江戸時代から昭和時代まで284年に渡り採掘した銅山です。
自転車で20分。
平地と山地の境にあります。
創業者の住友財閥が閉山後につくった資料館です。
元は銅の集積所です。
隣の大山積神社は、銅山の神様を祀り、山上から遷座を繰り返してここに落ち着いたそうです。
印象的なのは、毎年「大ばく祭」(おおばくさい)という祭りがあり、その年で一番良い銅鉱を加工して、神輿を作ることです。
銅山閉山の年の神輿が資料館に、銅山開山250年の神輿が神社の横に、それぞれありました。
別子銅山は、主に5つの地域に分けられています。
資料館のあるところは貨物列車の駅のあったところで、ここから新居浜まで線路が伸び、海上から全国に輸送されました。

 

②マイントピア別子

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これで次の街に行くつもりが、ダメ元でスタッフに聞いてみると、銅山行きのバスがあるとのこと。
さらに別のスタッフがバスの時刻表をくれました。ありがたい。
(最初からわかっていれば、駅から資料館までのしんどい登り20分もなかったのですが…)
バスで10分。
ここまでは自転車でもかなり頑張れば来れました(笑)。
つくなり「東平(とうなる)ツアー」と「観光列車と観光鉱山」の案内。
後者は悩みましたがカット。中に入りたい気もしましたが…。

 

③マイントピア東平(とうなる)

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観光バスで30分。
山を永遠と登り、東平に着きます。
かつては違うルートでしたが、今は遠回りするバス道で行きます。
明治以降の銅鉱があり、小中学校や娯楽施設もありました。
誰かが「日本のマチュピチュ」と言ったそうですが、やっぱり違います。
たしかに来る道は「あぁ、マチュピチュみたいだ」と思いました。
最後に少し下るところも似てます。
でも、銅の加工場の遺跡は、山口の産業革命遺産の方を思い出しました。
45分の滞在でしたが、良かったです。

 

④第四通洞(つうどう)

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マイントピア別子から少し歩くとあります。
明治以降、西洋技術によりここから5km近いトンネルを掘り、採掘現場と結んだそうです。
今回東平までバスで行きましたが、実はその先の峠がもっときついようです。
その先に旧別子があり、ここが江戸時代のものです。
ということで、そこまではバスもなく行けませんでした。