① 竹田キリシタン研究室・展示室
NPO法人の半分休憩室の展示室です。
そこで江戸時代の領主が、実は秀吉の時代に大阪府茨木市から移封(異動)していたことを知りました。
茨木市といえば、200年に渡りフランシスコ=ザビエルの肖像画が保管されていた場所として知られています。
スタッフの方によると、移封時の家臣40人はキリシタンであったそうです。
1637年の島原天草の乱では、岡藩(竹田藩)は幕府軍ながら、敵に攻撃すると見せかけて米などの食糧を援助したとか。
その証拠になる「兜入れ」が2018年に熊本・天草のサンタマリア館より寄贈されました。
家紋が竹田殿様のものなのが、動かぬ証拠のようです。
殿様以下、江戸時代も堂々とキリスト教を信仰した竹田。
NPO法人の半分休憩室の展示室です。
そこで江戸時代の領主が、実は秀吉の時代に大阪府茨木市から移封(異動)していたことを知りました。
茨木市といえば、200年に渡りフランシスコ=ザビエルの肖像画が保管されていた場所として知られています。
スタッフの方によると、移封時の家臣40人はキリシタンであったそうです。
1637年の島原天草の乱では、岡藩(竹田藩)は幕府軍ながら、敵に攻撃すると見せかけて米などの食糧を援助したとか。
その証拠になる「兜入れ」が2018年に熊本・天草のサンタマリア館より寄贈されました。
家紋が竹田殿様のものなのが、動かぬ証拠のようです。
殿様以下、江戸時代も堂々とキリスト教を信仰した竹田。
夜になると仏像の底から十字架を取り出し祈りを捧げます。
ところが太平洋戦争のとき、敵国の宗教が禁止。
それ以降、キリスト教徒はほとんどいなくなったそうです。
厳しい弾圧のあった長崎は今でも盛んです。
緩かったが故か、文化も弱くなっていったようです。
明治時代、長崎からの移民が増えたそうです。
天領である長崎にはほとんどありませんが、竹田には祈りを捧げた祠などが残っています。
そのため、ちゃんぽんも伝わりました。
昼食は「つちだ」でちゃんぽん750円。
素朴で美味しかったです。
② キリシタン洞窟礼拝堂
隣に祈りを捧げるホール。
近くに清めるための湧き水があるのが条件とのことです。
③ 瀧廉太郎資料館
瀧は12〜14歳のとき、官僚の父の転勤で竹田に住みました。
14歳で東京の音楽学校に進進学。
23歳でドイツ留学中に結核になり、帰国後に亡くなります。
あの写真は、亡くなる直前の弱っている時のものだと知りました。
ところが太平洋戦争のとき、敵国の宗教が禁止。
それ以降、キリスト教徒はほとんどいなくなったそうです。
厳しい弾圧のあった長崎は今でも盛んです。
緩かったが故か、文化も弱くなっていったようです。
明治時代、長崎からの移民が増えたそうです。
天領である長崎にはほとんどありませんが、竹田には祈りを捧げた祠などが残っています。
そのため、ちゃんぽんも伝わりました。
昼食は「つちだ」でちゃんぽん750円。
素朴で美味しかったです。
② キリシタン洞窟礼拝堂
隣に祈りを捧げるホール。
近くに清めるための湧き水があるのが条件とのことです。
③ 瀧廉太郎資料館
瀧は12〜14歳のとき、官僚の父の転勤で竹田に住みました。
14歳で東京の音楽学校に進進学。
23歳でドイツ留学中に結核になり、帰国後に亡くなります。
あの写真は、亡くなる直前の弱っている時のものだと知りました。