レキタビ情報局

歴史の旅(レキタビ)の紹介です。

長崎・天草2(2020.10.13) 九州横断旅行4日目

天草四郎生誕地

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上矢野町は、天草四郎の出生地です。

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江戸時代はじめ、39000人の農民一揆のリーダーにされた16歳の青年です。
直前まで長崎で学んでいたそうです。

 

天草四郎ミュージアム

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天草四郎関係の遺物を集めたサンタマリア館が閉鎖となり、こちらに収容されました。
2日目の竹田で見た「兜入れ」のあったところです。
スタッフに聞くと、閉鎖時に引き継いだ収蔵品はかなりの量だったとか。
撮影禁止でしたが、仏像入れの内側に聖杯と十字架の模様がありました。
また、葬式の際にカモフラージュのため仏式を先にしたそうです。
その時、僧侶の念仏を打ち消すために壺の中に何かを唱えたそうです。
そのあと内緒でキリスト教式でやったとか。
天草・島原の乱は、39000人の農民が一揆を起こします。
1600年までは小西領でしたが、小西が西軍で敗退すると、新領主は年貢を引き上げました。キリスト教も弾圧対象です。
それが災いして、小西の頃から盛んなキリスト教信仰により「自由・平等」を求めた身分差別のない反乱に発展しました。

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4ヶ月続いた戦闘。
最後は幕府軍の総攻撃で、原城の籠城した39000人の農民は玉砕しました。
女子供も殺されました。
日本のバスティーユかと思いました。
竹田の武士が、原城の農民たちに米を支援した、となると身分を超えています。

 

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本渡で鬼池港行きへ乗り換え。
乗り換え時間0分の上、一つ前のバスセンターで乗り換えと運転手に聞いて驚きました。
このバス自体、車庫まで行くため、バスセンター〜車庫はどちらのバスも走っているそうです。
乗り換え検索の限界を感じました。
鬼池港〜口之津港のフェリーは、前面展望です。珍しいです。
そして全席ソファーで、カーペットがありません。
港からバスでホテルへ。
温泉は夜2回のみ。朝はコロナの関係で開かないそうです。
移動の多い1日でした。