①福江城
福江城(石田城)は、1863年に完成した江戸時代最後の城です。
そして、1871年に早くも廃城となり建物は取り壊されます。
異国から守るため特別に築城が許可されたとのことでした。
石田城の立派な門から、高校生や乳母車を押すお母さん方が出てきたのには驚きました。
高校と保育園が城内にあるためですが、これはこれでいい光景だと思いました。
②福江天主堂
立派な教会です。
③堂崎天主堂
バスで20分。
観光課に他県の運転免許証を提示すると、往復820円⇨400円になります。
バス停から1kmほど歩きますが、穏やかな内海沿いを歩くので楽しいです。
この天主堂は、明治6年(1872)に建てられました。
カクレキリシタンがキリスト教徒を名乗り出るようになり、長崎県各地に小さな教会が建てられました。
④郷土博物館
資料が豊富でした。
⑤五島歴史博物館
バラモン凧は「勇敢な男の後ろ姿」。
バラモンという鬼に向かい、兜を被った武士が頭をかじられます。
男の子が生まれると、祖父がつくるそうです。
五島を感じる25分間の映像でした。
五島氏は平安末期に海を渡ってきて、それから幕末まで700年近く統治を続けます。
最初は最北の宇木のみでしたが、次第に拡大したようです。
長く続いた割には、大村家と同様博物館に文書が少ないのは何故でしょう…。
その大村領から、1730年くらいに3000人規模の「移民」がありました。
大村領で人があまり、五島領で人が不足したためです。
その中には多くの「潜伏キリシタン」がおり、「大村は地獄、五島は天国」と言われたそうですが、実際は痩せた土地しかなく、そんなことはなかったという歌が流行したそうです。
なお、それ以前に五島での戦国からの潜伏キリシタンは全滅していたと言われています。
⑥武家屋敷
700メートルほど、塀の上に石を乗せた石壁が続きます。
戦時に投げて攻撃したとか。
⑦防波堤
福江城の防波堤が残っています。
海風から築城中の城を守るため、と言われているそうです。
灯台の役割も果たしていたようです。
福江港を後にして、再び長崎へ。
大会があるのか、五島高校の生徒さんが沢山乗っています。
しかし、海のど真ん中でも電波がつながるとは…。
数年前の旅行とずいぶん変わりました。