レキタビ情報局

歴史の旅(レキタビ)の紹介です。

神奈川・鎌倉(16.1.31)

近いところほど,なかなか行かないものです。

中学校の遠足以来,数十年ぶりに鎌倉を訪問しました。

 

小町通り

混んでいました。

 

鶴岡八幡宮

源頼朝の先祖・義家が建立したのが始まり。

源氏の氏神

6年前の2010年3月に大銀杏が倒れてしまいました。

3代将軍実朝を暗殺した,伯父の公暁が隠れていたことでも知られていました。

落雷で燃えてしまいましたが,新しいイチョウが生えていました。

驚いたのは,そのすぐ隣に落雷で残ったイチョウの根元があるのです。

再生を試みているそうです。

 

源頼朝の墓

初任校で「頼朝の墓がおススメ!」と聞いてから,ようやく訪問できました。

鶴岡八幡宮から徒歩5分くらいでした。

ここには法華堂があったそうです。

 

北条義時の墓跡

頼朝の墓の近くにあったそうです。

 

⑤島津・大江・毛利の墓

左から,毛利季光(すえみつ),大江広元島津忠久

時代順で記すと,まず大江広元は頼朝のブレーンで,京都から呼ばれた公家です。

その子が毛利季光ですが,5代執権北条頼時との権力争い(宝治合戦)に敗れ,頼朝の法華堂で一族自刃しています。

島津忠久は,祖母が頼朝の乳母のため頼朝に重宝され,戦場でも活躍し,恩賞として九州の島津荘(宮崎県都城市周辺)の地頭に任じられました。

そのため,「忠久は頼朝のご落胤(ごらくいん=隠し子)ではないか?」という説もあります。

この毛利と島津の子孫が,江戸時代に墓所を整備しました。

この組み合わせ,幕末の薩長です。歴史は繋がっています。

 

⑥大倉幕府跡

初代~3代の幕府の跡。

 

⑦若宮幕府跡

4代~9代将軍の幕府の跡。

路地にあります。

東慶寺跡・腹切りやぐら

新田義貞に追いつめられた北条一族が自刃した地です。

盛者必衰。歴史は私たちにさまざまなことを考えさせてくれます。

この一帯,空気がまるで違うと感じました。合掌。

 

日蓮上人辻説法跡

モンゴル軍の襲来を予言した日蓮

その辻説法跡です。