近いところほど,なかなか行かないものです。
中学校の遠足以来,数十年ぶりに鎌倉を訪問しました。
①小町通り
混んでいました。
源頼朝の先祖・義家が建立したのが始まり。
源氏の氏神。
6年前の2010年3月に大銀杏が倒れてしまいました。
3代将軍実朝を暗殺した,伯父の公暁が隠れていたことでも知られていました。
落雷で燃えてしまいましたが,新しいイチョウが生えていました。
驚いたのは,そのすぐ隣に落雷で残ったイチョウの根元があるのです。
再生を試みているそうです。
③源頼朝の墓
初任校で「頼朝の墓がおススメ!」と聞いてから,ようやく訪問できました。
鶴岡八幡宮から徒歩5分くらいでした。
ここには法華堂があったそうです。
④北条義時の墓跡
頼朝の墓の近くにあったそうです。
⑤島津・大江・毛利の墓
時代順で記すと,まず大江広元は頼朝のブレーンで,京都から呼ばれた公家です。
その子が毛利季光ですが,5代執権北条頼時との権力争い(宝治合戦)に敗れ,頼朝の法華堂で一族自刃しています。
島津忠久は,祖母が頼朝の乳母のため頼朝に重宝され,戦場でも活躍し,恩賞として九州の島津荘(宮崎県都城市周辺)の地頭に任じられました。
そのため,「忠久は頼朝のご落胤(ごらくいん=隠し子)ではないか?」という説もあります。
この毛利と島津の子孫が,江戸時代に墓所を整備しました。
この組み合わせ,幕末の薩長です。歴史は繋がっています。
⑥大倉幕府跡
初代~3代の幕府の跡。
⑦若宮幕府跡
4代~9代将軍の幕府の跡。
路地にあります。
⑧東慶寺跡・腹切りやぐら
新田義貞に追いつめられた北条一族が自刃した地です。
盛者必衰。歴史は私たちにさまざまなことを考えさせてくれます。
この一帯,空気がまるで違うと感じました。合掌。
⑨日蓮上人辻説法跡
モンゴル軍の襲来を予言した日蓮。
その辻説法跡です。