レキタビ情報局

歴史の旅(レキタビ)の紹介です。

三重・松阪(22.08.12)

① 松阪城跡
蒲生氏郷の城でした。

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② 本居宣長旧宅
孫の代の時、火災の多い街中から移転しました。
60年間この家で過ごし、古典研究に没頭していました。

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③ 本居宣長資料館
幼い頃。
伊勢参りで賑わう松阪にいて「この人たち、どこから来るのだろう?」と、世の中に興味を持ったという宣長
14歳の時、中国王朝が「断絶」、日本の貴族は「継続」していることに気付き、中国ではなく日本自体に興味を持ったそうです。 
16歳の時、自力で日本地図を書きました。伊能図の50年前です。
なお彼の地図に、飯野、窪川直江津、上鶴間はありませんでした(涙)。
 
ある時、古典研究の第一人者・賀茂真淵伊勢参りの宿として松阪に訪れます。
宣長は会いに行き、質問を手紙で送る約束をします。
それなのに、数年後に真淵の意見を否定して激怒されています。
 
日本書紀は漢文で記されていたため、メジャー。
古事記は万葉仮名のため、マイナーだったそうです。
その古事記を読み解きましたが、もともと他の本のおまけでもらったものとか(汗)。
 
それにしても、古事記日本書紀も「出版」されていたのが驚きです。
万葉仮名だとラテン語のような扱いな気がしていましたが、一応読もうという人はいたから版木も彫られていたんだと思いました。
 
医者は、ライスワーク。
古典研究は、ライフワーク。
睡眠時間3時間。家庭もあります。すごい人です。

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