レキタビ情報局

歴史の旅(レキタビ)の紹介です。

北海道・釧路3(24.5.5)

①北斗遺跡・資料館

釧路駅からバスで40分。

釧路湿原展望台の手前に、縄文時代から人が住んでいた遺跡があります。

縄文時代を終えて飛鳥時代頃の擦文文化時代になると、鉄製容器やかまどが登場します。

竪穴式住居にかまど、本州ではあまり見られないものです。

 

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鳥取神社・百年館

1885年、鳥取藩の士族たち500名が移住して、鳥取村を作りました。

政府から釧路への集団移住の募集があり、手を挙げたそうです。

時は伊藤博文が初代総理大臣になり、立憲国家が出来つつある時期ですが、士族の生活が困窮していたことも窺えます。

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移住者たちは、主に農業をしました。

しかし釧路川がたびたび氾濫し、生活が安定しませんでした。

大正時代になり、釧路川の水を今の新釧路川を堀り流すことで、洪水を抑えたそうです。

その工事も難航したそうです。

鳥取村は、新釧路川に分断されます。

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生活の安定を求めて、士族たちは製紙会社を誘致しました。

後の王子製紙樺太にもあった会社)ですが、これにより税収が上がり、生活が安定したそうです。

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戦後、釧路市と「対等合併」をして、新釧路市となります。

対等合併は全国でも珍しいそうです。

 

第二展示室には、鳥取藩主から頂いたものが展示してありました。

15代徳川慶喜の兄が藩主でした。

この資料館も鳥取城を模しているそうです。

 

鳥取地区は、釧路市内でも多くの人口を抱えています。

移住の歴史を知る上で、一次資料も充実しており、とてもわかりやすい展示でした。